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第6話「契約のあとで」

朝の居間を少し上から。座卓の右で、紺のポロシャツの若い査定員が書類のファイルを開く。真ん中の肘掛け椅子に、茶のカーディガンの年配の男性が老眼鏡をかけて座る。左から40代の女性が湯のみを盆にのせて来る。窓の外に車庫の白いセダン。朝の白い光。

会社員。父の車を売ることにした笠井 奈緒

小さな買取の店の、出張の査定員三浦 拓海

土曜、10時。

三浦 拓海:住民票の前住所で
団地からここまで
ちゃんと
つながりました

若い査定員の寄り。少しはねた短い黒髪。座卓の上で書類の束の角を両手でそろえ、緊張して唇をなめる。朝の白い光。

三浦 拓海:今日は
お家で
契約させて
いただきます

古物の買取をする場所(出張の買取)の解説

現実の事実中古の物を買い取る古物商(こぶつしょう)は、自分の営業所か、売る人の住所・居所のほかの場所では、古物商でない人から買い取る物を受け取ってはいけない決まりです(古物営業法 第14条)。出張の買取で家に来て受け取るのは、この「売る人の住所」に当たります。

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年配の男性の寄り。老眼鏡の上から査定員を見て、カーディガンの胸ポケットから写真の付いたカード(字は読めない)を出す。朝の白い光。少し下から。

三浦 拓海:ご本人の確認に
ご住所とお名前
ご職業とお年を

古物商(こぶつしょう)の相手の確認の解説

現実の事実古物商は、物を買い取る時に、盗まれた物でないかを確かめるため、売る人の住所・氏名・職業・年齢を確かめる決まりです(古物営業法 第15条)。身分証(みぶんしょう)を見せてもらう・署名のある書面をもらうなどの方法があり、怪しい物だと思った時は警察に申告します。

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40代の女性の胸から上。湯のみの盆に手を置いたまま、首をかしげて査定員を見る。肩までの黒髪、白いブラウス。朝の白い光。

笠井 奈緒:職業も︙︙?

少し上から座卓。写真の付いたカード(字は読めない)と車の鍵の横で、紺の袖の若い手がタブレット(画面は白い光と線だけ)に打ち込む。湯のみに緑茶。朝の白い光。

三浦 拓海:盗まれた車じゃないか
確かめる
決まりなので

笠井 寛治:免許はもう
返したが
これでいいか

三浦 拓海:はい
これで

三浦 拓海:店の帳簿にも
書いておく
決まりなんです

古物の取引の帳簿(ちょうぼ)の解説

現実の事実古物商(こぶつしょう)は、物を買い取ったり売ったりするたびに、取引の日・品目と数・物の特徴・相手の住所・氏名・職業・年齢・確かめた方法を、帳簿などに書くか電子で記録しておく決まりです(古物営業法 第16条)。盗まれた物が出回った時に、たどれるようにするためです。

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肘掛け椅子から立ち上がる年配の男性を少し下から。片手を肘掛けにつき、もう片方の手で窓の外の車庫の白いセダンを指す。朝の白い光。

奈緒の父。運転免許を返したばかり笠井 寛治

座卓。若い査定員が、車の状態を書く申告の紙(四角い欄の線だけで字は読めない)を女性の前へ差し出す。女性はペンを取って身を乗り出す。後ろの戸口から年配の男性の背中が出ていく。朝の白い光。

笠井 寛治:合鍵を
取ってくる

三浦 拓海:それと
車の状態の
お申告を

笠井 奈緒:事故は
ないです
父も
ぶつけた事は
ないって

寄り。申告の紙の四角い欄の1つに、女性の手のペンが丸をつける(丸の形だけで字は読めない)。白いブラウスの袖。朝の白い光。

三浦 拓海:あ︙︙
前のほうの

寄り。座卓の上で震える若い査定員のスマホ。画面の橙の光と震えの線(字は読めない)。朝の白い光。絵の中に「ブブブ」の描き文字。

権藤 誠一(電話の声):三浦
まだか

若い査定員の寄り。慌ててスマホを手で押さえ、言いかけた口のまま女性に頭を下げる。額に汗。朝の白い光。

三浦 拓海:す︑すみません
店長で

三浦 拓海:︙︙契約書
お読み
ください

真上から座卓。車の売買の契約書(欄の枠と線だけで字は読めない)の上を、女性の人さし指が1行ずつたどる。横に湯のみと実印のケース。

〈車の売買の契約書〉買い取る値段:42万円引き渡しの日:再来週の土曜代金の支払い:引き渡しから3日以内に振込売る人:笠井 寛治

車の売買の契約書(けいやくしょ)で確かめる所の解説

現実の事実国民生活センターは、車の売却では、契約の前に契約書を確かめるよう呼びかけています。特に、キャンセルの決まり(いつから、いくらかかるか)と、代金の支払いの条件は事前に必ず見ます。代金の振り込みが何度も延びる相談も寄せられています。

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戸口から戻った年配の男性の胸から上。古い合鍵を1本、座卓の上の娘の前へ差し出す。目を細める。朝の白い光。

笠井 奈緒:引き渡しの日と
払われる日︙︙

笠井 寛治:合鍵だ
母さんが
作ったやつだ

寄り。座卓の上の契約書に、年配の男性の節の太い手が実印をゆっくり押す。横に合鍵が1本。少し震える指。朝の白い光。
年配の男性の寄り。外した老眼鏡を手に持ち、若い査定員を静かに見る。口元を結ぶ。朝の白い光。目の高さ。

笠井 奈緒:お父さん
ここに

笠井 寛治:︙︙ああ

笠井 寛治:白いのを
頼む

40代の女性の寄り。胸に手を当て、肩の力を抜いて目を細める。肩までの黒髪を片耳にかける。朝の白い光。

三浦 拓海:︙︙はい

笠井 奈緒:42万
7社も比べて
一番高い所

三浦 拓海:これで
契約は
成り立ちました

契約の成立の解説

現実の事実民法では、契約は、中身を示した「申込み」に、相手が「承諾」した時に成り立ちます(第522条)。法律に特別の決まりがなければ、書面を作る事は成り立つための条件ではありません。契約書(けいやくしょ)は、決めた中身を後で確かめられるように残す物です。

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月曜︒
駅の裏の店︒

昼の買取の店の事務所。机のパソコンで写真を見る、短く刈った白髪まじりの店長の背中と、その後ろで紙コップを持って立つ若い査定員。窓の白い光。少し上から。

権藤 誠一:市場に出す写真
見たぞ

寄り。パソコンの画面に大きく映った白いセダンのボンネットの角。店長の太い指が、フェンダーとの継ぎ目を指す。継ぎ目のすき間がわずかに広く、白の色がほんの少し違う。画面に字は無い。

権藤 誠一:ボンネットの継ぎ目
色が
違う

権藤 誠一:前 直してるな

若い査定員の寄り。紙コップを持ったまま顔から血の気が引き、目を見開く。窓の白い光。

三浦 拓海:あ︙︙

回想。夜の車庫。白いセダンのボンネットの前で、年配の男性が車の前のほうに手を置き、若い査定員に話す。裸電球の光。

笠井 寛治(回想の声):前のほうの
あの直しはな

笠井 寛治(回想の声):この車で最後に
妻を病院へ
送った夜のだ

店長の寄り。老眼鏡を外して机に置き、横目で若い査定員を見る。太い眉。窓の白い光。少し下から。

権藤 誠一:申告の紙は

三浦 拓海:︙︙「なし」に
丸が

同じ店の店長権藤 誠一

店長が腕を組み、窓の外の駐車場を見る。紺の作業の上着、胸に老眼鏡。窓の白い光。

権藤 誠一:市場の検査で
直しありになりゃ
42じゃ出せん

店長の寄り。腕を組んだまま横を向き、太い眉の下で目を閉じる。窓の白い光。

権藤 誠一:34だ
引き渡しの前に
正直に相談しろ

権藤 誠一:見落としたのは
うちだ
頭を下げてこい

若い査定員の寄り。橙に光るスマホを手に持って見つめ、指が画面の上で止まる。窓の白い光。

権藤 誠一:苦手でも
お前が電話しろ
お前の客だ

電話は︑夜に来た︒

夜の居間を少し上から。天井の暖かい灯り1つ。肘掛け椅子で新聞を広げる年配の男性。座卓の横で、橙に光るスマホを耳に当てる40代の女性。

三浦 拓海(電話の声):笠井さん
申し訳
ありません

夜の買取の店の裏口。暗がりで、若い査定員がスマホを耳に当て、空いた手を膝に当てて深く頭を下げる。足元に、書類をはさんだ板と紙が落ちている。裏口の灯り。

三浦 拓海(電話の声):契約のお値段から
8万円︙︙

三浦 拓海(電話の声):市場に出す前の写真で
前のほうに
直しが見つかって

三浦 拓海(電話の声):下げさせて
いただけないかと

40代の女性の寄り。スマホを耳に当てたまま目を見開き、口を開ける。天井の暖かい灯り。

笠井 奈緒:は?
︙︙今
なんて

笠井 奈緒:直しが
見つかったから
8万︙︙?

寄り。橙に光るスマホを強く握る女性の手。白いブラウスの袖。夜の居間。天井の暖かい灯り。

笠井 奈緒:一番高い所に
決めたのに

笠井 奈緒:だまされた︙︙

年配の男性の寄り。肘掛け椅子で新聞を下ろし、老眼鏡の上から娘を見る。天井の暖かい灯り。少し下から。

笠井 寛治:前のほうの
直しなら

40代の女性の寄り。父を振り返ったまま、スマホを耳に当て直す。眉が寄る。天井の暖かい灯り。

笠井 寛治:わしは
三浦くんに
言ったぞ

笠井 奈緒:え︙︙

笠井 奈緒:三浦さん
聞いてたんですか

若い査定員の顔の寄り。裏口の暗がりで、スマホを耳に当てたまま目を伏せ、唇をかむ。裏口の灯りが横顔に当たる。
40代の女性の顔の寄り。目に涙をためて眉を寄せ、口を結んで、前を見すえる。天井の暖かい灯り。
全面の1枚。夜の居間を高い所から見下ろす縦に長い構図。座卓の上に契約書の控え。白いブラウスでスマホを耳に当てて立つ女性と、肘掛け椅子に座ったまま娘を見上げる年配の男性。上の窓の外、車庫の裸電球の下に白いセダンが光る。天井の暖かい灯り1つ。

契約書には︑
もう父の字があった︒

第6話「契約のあとで」

つづく

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・店は架空です。

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この話で分かること

車の買取の人が家に来て、何を確かめる?

中古の物を買い取る古物商(こぶつしょう)は、売る人の住所・氏名・職業・年齢を確かめ(古物営業法 第15条)、取引の日・物の特徴・相手の事などを帳簿(ちょうぼ)に記録します(第16条)。出張の買取で売る人の家で受け取るのは、決まりの中の場所です(第14条)。

車を売る契約書(けいやくしょ)で、先に確かめる所は?

国民生活センターは、契約の前に契約書を確かめ、特にキャンセルの決まり(いつから・いくら)と代金の支払いの条件を見るよう呼びかけています。引き渡しの日と、代金が払われる日も、書いてある事を確かめます。

条件・例外

契約をすると、原則として契約書の中身に従う事になります。

契約は、いつ成り立つ?

民法では、契約は申込みに相手が承諾した時に成り立ち、法律に特別の決まりがなければ、書面を作る事は条件ではありません(第522条)。契約書(けいやくしょ)は、決めた中身を残しておく物です。

車を売る時、直した所(修復歴(しゅうふくれき))は言わないといけない?

国民生活センターは、売る車に修復歴や事故歴(じこれき)があると知っている時は、査定(さてい)の時に必ず買取の会社へ申告するよう呼びかけています。

この話の用語

古物の買取をする場所(出張の買取)漫画の中で見る
現実の事実中古の物を買い取る古物商(こぶつしょう)は、自分の営業所か、売る人の住所・居所のほかの場所では、古物商でない人から買い取る物を受け取ってはいけない決まりです(古物営業法 第14条)。出張の買取で家に来て受け取るのは、この「売る人の住所」に当たります。
古物商(こぶつしょう)の相手の確認漫画の中で見る
現実の事実古物商は、物を買い取る時に、盗まれた物でないかを確かめるため、売る人の住所・氏名・職業・年齢を確かめる決まりです(古物営業法 第15条)。身分証(みぶんしょう)を見せてもらう・署名のある書面をもらうなどの方法があり、怪しい物だと思った時は警察に申告します。
古物の取引の帳簿(ちょうぼ)漫画の中で見る
現実の事実古物商(こぶつしょう)は、物を買い取ったり売ったりするたびに、取引の日・品目と数・物の特徴・相手の住所・氏名・職業・年齢・確かめた方法を、帳簿などに書くか電子で記録しておく決まりです(古物営業法 第16条)。盗まれた物が出回った時に、たどれるようにするためです。
車の売買の契約書(けいやくしょ)で確かめる所漫画の中で見る
現実の事実国民生活センターは、車の売却では、契約の前に契約書を確かめるよう呼びかけています。特に、キャンセルの決まり(いつから、いくらかかるか)と、代金の支払いの条件は事前に必ず見ます。代金の振り込みが何度も延びる相談も寄せられています。
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現実の事実民法では、契約は、中身を示した「申込み」に、相手が「承諾」した時に成り立ちます(第522条)。法律に特別の決まりがなければ、書面を作る事は成り立つための条件ではありません。契約書(けいやくしょ)は、決めた中身を後で確かめられるように残す物です。

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AI寛治が黙ってボンネットを拭きに出て、奈緒が後を追う形にすると、8万円の話より先に、父が車の前で何を思っているかが見えます。答えは急がせません。

あなたその線で、台詞を

AI奈緒「お父さん、8万……どうする?」寛治「……三浦くんの声を、もう一度聞いてからだ」奈緒「声?」寛治「ああ。電話の声で、だいたい分かる」

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この話のあらすじ

土曜、10時。三浦が笠井の家に契約に来る。住民票(じゅうみんひょう)の前住所で、車検証(しゃけんしょう)の団地の住所からのつながりが示せた。三浦は寛治の住所・名前・職業・年齢を確かめ、店の帳簿(ちょうぼ)に書く。寛治が合鍵を取りに車庫へ出ている間に、三浦は車の状態の申告の紙を出し、奈緒は「事故は、ないです」と「なし」に丸をつける。三浦が「前のほうの」と言いかけた所へ、店長の権藤から「まだか」の電話。奈緒は契約書(けいやくしょ)で、42万円・引き渡しは再来週の土曜・代金は引き渡しから3日以内の振込を確かめ、寛治が実印を押す。「白いのを、頼む」。月曜、権藤は市場に出す写真で、ボンネットの継ぎ目の色の違いを見つける。三浦は、第2話の夜に寛治から聞いた「この車で最後に妻を病院へ送った夜」の直しを思い出す。申告の紙は「なし」。権藤は「市場の検査で直しありになりゃ、42じゃ出せん。34だ。引き渡しの前に、正直に相談しろ。お前が電話しろ」。その夜、三浦の電話に、奈緒は「8万……?」「だまされた」。寛治が新聞を下ろす。「前のほうの直しなら、わしは三浦くんに言ったぞ」。奈緒は電話の向こうに聞く。「三浦さん、聞いてたんですか」。契約書には、もう父の字があった。

作者

あいみつ舎

比べて選ぶ人と、比べられる人。申込みの向こう側の両方を描いています。

この作品について

査定の電話の断り方、車を売る時に要る書類、契約の後で取り消せるかどうかを、手放す家族の気持ちと買い取る店の事情を行き来しながら確かめられます。

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