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第7話「印のない請求書」

藍染めの甕の並ぶ紺屋の作業場。頭に手ぬぐいの宗吉が、藍に染まった腕を組んで立ち、眉を寄せて相手をにらむ。向かいで升屋の番頭が、腰を低くして笑顔のまま一枚の紙を差し出している。

紺屋(藍染めの職人)宗吉

両替商・呉服問屋〈升屋〉の番頭嘉平

嘉平:来月からで
ございます

藍染めの紺屋で、升屋の番頭嘉平が腰を低くして、折りたたんだ一枚の紙を宗吉へ差し出す。手前では宗吉の肩が大きく、拳を握りしめている。

嘉平:印のない請求書の
方は工賃を
1割
頂戴します

目を見開き口を大きく開けた宗吉の寄り。藍に染まった手が胸の前へ跳ね上がり、手前に藍の甕のふちが見える。

宗吉:1割だと!?

嘉平:それは
お困りでしょうね

第7話「印のない請求書」

紺屋の石段を降りてきた伊織が、宗吉の方を見る。肩に小さな付喪神がしがみつく。奥で番頭の背中が暖簾の下を去っていき、手前で宗吉が藍に染まった手に紙を持ったまま、その背中を見る。

勘定改め所の見習い改め役(前世はフリーランスの映像編集者)伊織

伊織:宗吉さん
今の話は?

宗吉が握りつぶした紙を下ろし、苦い顔で首のうしろをさする。手前に伊織の背中と肩の付喪神。甕の並ぶ作業場。

宗吉:師匠の申告を
手伝って
やっとの朝に
これだよ

隠居の蔵の床下の
二冊目は︑
志乃さんが写しを取り︑
元の所へ戻した︒
升屋はまだ︑何も
知らない︒

宗吉:なあ伊織
この印ってのは
何なんだよ

開いた御定めの冊子に、伊織が手のひらを叩きつける。小さな付喪神が算盤に手を伸ばし、宗吉があごに手を当ててのぞきこみ、お糸が目を見開いて身を乗り出す。

紺屋の娘お糸

〈申告の御定め〉(前の世界の決まりと同じ。令和8年10月現在)問屋が払った税を、自分の税から引くには、登録した者の印のある請求書(インボイス)が要る。

適格請求書(てきかくせいきゅうしょ)(インボイス)の解説

現実の事実売り手が買い手に、正しい税率と消費税の額を伝える請求書(せいきゅうしょ)です。税務署(ぜいむしょ)で登録した事業者だけが出せます。買い手は原則これを保存すると、払った消費税を自分の納める税から引けます(仕入税額控除(しいれぜいがくこうじょ))。

出典

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伊織が冊子の一行を指で押さえ、横を見る寄り。行灯の光。

お糸:うちは
登録してないね

伊織:えっと
宗吉さんの工賃は
年500万
でしたよね

伊織:年に1千万以下なら
免税事業者
税を納めなくて
いい側なんです

免税事業者(めんぜいじぎょうしゃ)の解説

現実の事実2年前(基準期間)の課税売上高が1,000万円以下(えんいか)の事業者は、原則として消費税を納める義務がありません。ただしインボイスの登録をすると、売上に関わらず消費税の申告が要ります。

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宗吉:へっ
じゃあ
何も悪くねえ

宗吉:なんで
1割も
取られるんだ

甕の台の縁に立つ珠が、得意げな顔で指を一本立てる。手前に藍染めの縄、奥に宗吉の大きな体がぼやけて立つ。

珠:そこよ
升屋がいくら
損するか
聞いてないでしょ

染め場の火を落として︑
板の間に集まった︒

夜の紺屋の板の間を上から見る。灯りのそばで付喪神が算盤の珠をはじき、お糸が帳の行を指さし、伊織があごに手を当ててのぞく。宗吉は腕を組んで上を見上げる。

伊織:印がなくても
升屋は
全部は
損しないんです

〈申告の御定め〉印のない相手から買っても、今は払った税の 70% を引ける。(経過措置。令和8年10月1日から。前は 80%)

免税事業者(めんぜいじぎょうしゃ)からの仕入れの経過措置(けいかそち)の解説

現実の事実インボイスが無い相手からの仕入れでも、消費税の一定の割合を引ける特例です。令和8年10月1日から80%が70%になり、令和10年10月1日から50%、令和12年10月1日から30%に下がり、令和13年10月1日からは引けなくなります。

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お糸が帳をのぞきこみ、藍の染みた指で行を押さえて眉を寄せる。

お糸:ねえ
じゃあ升屋の損は
いくらなの?

夜の板の間。行灯のそばで、珠が算盤の珠をはじく。真剣な横顔と算盤、手前に帳の山。

珠:はいはい
出すわよ

改め所の書庫の、 古い算盤の付喪神珠(たま)

珠の算盤|宗吉の工賃(1年)工賃 500万円 + 税 50万円升屋の損:税50万円の 30% = 15万円下げる額:550万円の 1割 = 55万円

夜の板の間。宗吉が拳を卓に叩きつけて身を乗り出し、伊織が手を上げて身を引く。卓の上に算盤と行灯。

宗吉:15万の損で
55万
取るってのか!?

伊織:40万円
多いんです

算盤の答えを紙に写して︑
翌朝︑升屋へ行った︒

朝の升屋の店先。伊織が番頭の嘉平へ紙を差し出して立つ。奥に積まれた反物と、重さの形の印の暖簾と提灯。嘉平の笑みは消え、伊織を見下ろす。

嘉平:見習いの方が
商いの話に
なにか?

伊織の顔の寄り。見習いの羽織で、まっすぐ相手を見る。

伊織:商いの話じゃ
ありません

朝の升屋の店先。嘉平の笑みが固まり、紙を持つ手が止まる。手前に伊織の後頭部と肩。

伊織:1割の根拠を
聞きに来ました
書面で

嘉平:根拠?

伊織:登録しないなら
下げると
一方的に言うのは

免税事業者(めんぜいじぎょうしゃ)への一方的(いっぽうてき)な値下げの解説

現実の事実国のQ&Aでは、話し合って納得した上の値下げは問題ありませんが、「登録しないなら引き下げる」と一方的に通告する、理由を書面などで示さず下げる、消費税分すら賄えない額にする時は、独占禁止法の優越的地位の濫用になるおそれがあります。相談先(そうだんさき)は公正取引委員会などです。

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嘉平の顔の寄り。口もとは笑ったまま、細い目だけを横へ流して伊織を測っている。

伊織:前の世界では
問題になりうる
行いでした

嘉平:ここは
御公儀の改めの
場では
ございません

嘉平:お引き取りを

伊織が紙を手に升屋の前の通りを去っていく。奥の暖簾の下で、嘉平が腕を組み、笑みのない目で見送る。

書面は︑出なかった︒
その夜︑紺屋の板の間で︒

夜の板の間。宗吉が登録の願書を前に筆を持ったまま手を止め、もう片方の手を口もとに当てて歯を食いしばる。藍の染みの残る太い指。行灯の光。隣でお糸が両手を握って見守る。

宗吉:なあ
登録したら
俺も税を出すのか

伊織:はい
でも今年の分は
納めるのは2割で

〈申告の御定め〉2割特例:受けた税の 2割を納める(令和8年分まで)3割特例:令和9年分・10年分は 3割宗吉:1年で 50万円の 2割 = 10万円(次の年からは 3割で 15万円)

2割特例と3割特例の解説

現実の事実インボイスの登録で免税から課税になった事業者が、受け取った消費税の2割だけを納めればよい特例です。令和8年分の確定申告までで、個人事業(こじんじぎょう)者は令和9年分・10年分に3割の特例を使えます。条件があるので税務署(ぜいむしょ)に確かめます。

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夜の板の間。硯のふちに座った珠が、腕を組んで脚をぶらつかせ、ふてくされて横を向く。

珠:10万出して
55万守るのね
あーあ損な役

宗吉の顔の寄り。手前に伊織の後ろ頭。宗吉が横目で伊織を見て、ふっと笑う。手ぬぐいの下の太い眉。

宗吉:へっ

宗吉:出さねえで
損すんのは
もう懲りた

宗吉が白い紙に太い筆を下ろす手の寄り。墨が太く走る。藍に染まった両手。

お糸:お父ちゃん

港の船改めの番屋へ︑
志乃さんを訪ねた︒

夜の港の番屋。吊り灯りと卓の灯りの下で、高い位置で黒髪を結んだ志乃が帳面を開き、向かいで伊織が頬杖をつく。外に暗い海と帆柱、対岸の町の灯り。

勘定改め所の改め役〈見立ての志乃〉榊 志乃

榊 志乃:宗吉の家で
1割なら
町じゅうの
職人もだ

伊織:升屋の職人は
20軒ですよね

伊織:じゃあ年に︙︙

灯りのそばで開いた帳の写しの左右の頁を、伊織の両手の指がそれぞれ押さえている。

二つの帳の写し|職人20軒の工賃(来月からの1年)表の帳:升屋の損の分だけ下げる(1軒 15万円)二冊目の帳:1割下げる(1軒 55万円)差:1軒 40万円 × 20軒 = 年800万円

志乃の顔の寄り。灯りに照らされ、切れ長の目が帳面を離れて伊織をとらえる。朱の紐。

珠:ちょっと
この差の銭
どこへ行くのよ

榊 志乃:行き先は
どの帳にも無い

榊 志乃:明日の夜
書庫で二冊を
頭から合わせる

夜の港の番屋。志乃が帳を閉じて小脇に抱えて立ち、卓に座っていた伊織が見上げて立ち上がろうとする。

伊織:明日の
夜ですね

夜の海を見下ろす。手前に港の番屋の小さな灯り。対岸の町の向こう、城の下の高台に升屋の大きな屋根。

見習いの僕と︑
船改めへ飛ばされた人︒
相手は︑町の半分だ︒

第7話「印のない請求書」

つづく

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・店は架空です。

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無申告、改めます。

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この話で分かること

インボイスの登録をしていないと、取引先はどのくらい損をする?

令和8年10月1日からは、登録していない相手からの仕入れでも消費税の70%を引けるので、取引先が引けなくなるのは30%の分です。令和10年10月1日から50%、令和12年10月1日から30%に下がり、令和13年10月1日からは引けなくなります。

物語との違い

作中の工賃500万円・税50万円は物語の中の値です。

免税事業者(めんぜいじぎょうしゃ)とは?

2年前(基準期間)の課税売上高が1,000万円以下(えんいか)で、原則として消費税を納めなくてよい事業者です。インボイスの登録をすると申告が要ります。

2割特例・3割特例とは?

登録を機に課税になった事業者が、受け取った消費税の2割を納めればよい特例で、令和8年分の確定申告までです。個人事業(こじんじぎょう)者は令和9年分・10年分に3割の特例を使えます。

条件・例外

使える条件があります。税務署(ぜいむしょ)や税理士(ぜいりし)に確かめます。

「登録しないなら値下げ」と言われたら?

話し合って納得した上の値下げは問題ありませんが、一方的(いっぽうてき)な通告や、理由を書面などで示さない値下げは、独占禁止法上の問題になるおそれがあります。公正取引委員会などに相談できます。

この話の用語

適格請求書(てきかくせいきゅうしょ)(インボイス)漫画の中で見る
現実の事実売り手が買い手に、正しい税率と消費税の額を伝える請求書(せいきゅうしょ)です。税務署(ぜいむしょ)で登録した事業者だけが出せます。買い手は原則これを保存すると、払った消費税を自分の納める税から引けます(仕入税額控除(しいれぜいがくこうじょ))。
免税事業者(めんぜいじぎょうしゃ)漫画の中で見る
現実の事実2年前(基準期間)の課税売上高が1,000万円以下(えんいか)の事業者は、原則として消費税を納める義務がありません。ただしインボイスの登録をすると、売上に関わらず消費税の申告が要ります。
免税事業者(めんぜいじぎょうしゃ)からの仕入れの経過措置(けいかそち)漫画の中で見る
現実の事実インボイスが無い相手からの仕入れでも、消費税の一定の割合を引ける特例です。令和8年10月1日から80%が70%になり、令和10年10月1日から50%、令和12年10月1日から30%に下がり、令和13年10月1日からは引けなくなります。
免税事業者(めんぜいじぎょうしゃ)への一方的(いっぽうてき)な値下げ漫画の中で見る
現実の事実国のQ&Aでは、話し合って納得した上の値下げは問題ありませんが、「登録しないなら引き下げる」と一方的に通告する、理由を書面などで示さず下げる、消費税分すら賄えない額にする時は、独占禁止法の優越的地位の濫用になるおそれがあります。相談先(そうだんさき)は公正取引委員会などです。
2割特例と3割特例漫画の中で見る
現実の事実インボイスの登録で免税から課税になった事業者が、受け取った消費税の2割だけを納めればよい特例です。令和8年分の確定申告までで、個人事業(こじんじぎょう)者は令和9年分・10年分に3割の特例を使えます。条件があるので税務署(ぜいむしょ)に確かめます。

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この話のあらすじ

升屋の番頭・嘉平が紺屋の宗吉に「印のない請求書(せいきゅうしょ)は来月から工賃1割引き」と告げる。伊織(いおり)が御定め(おさだめ)を開く。登録した者の請求書(インボイス)が無くても、問屋(とんや)は今は払った税の70%を引けるので、宗吉の工賃で升屋が損をするのは年15万円だけ。ところが1割引きは55万円で、40万円多い。伊織は嘉平に根拠(こんきょ)を書面で求めるが追い返される。宗吉は「出さねえで損すんのはもう懲りた」と、2割特例で10万円を納める登録を自分で選ぶ。その夜、港の番屋で志乃と二冊の帳の写しを並べると、職人20軒で年800万円の差の行き先が、どの帳にも無かった。志乃は明日の夜、書庫で二冊を頭から合わせると言う。

作者

ことわり帖

住宅ローンの審査や確定申告、役所の窓口のように、結果だけが届いて理由が見えにくい手続きの裏側を描いています。

この作品について

申告を何年も出していない時にどうなるのか、期限の後から出す時の加算税、税務調査が見る範囲、経費にできる物の線引きを、城下町の改め所の一件ずつで見極めていけます。

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