第1話

第1話「値なしの宿」

雨の夕方、日本の住宅地の細い坂道。古い石垣の前で、雨合羽の男が巻尺を手に立っている。

その土地、いくらですか。
――そう聞かれるのが、
俺の仕事だった。

濡れた道路に巻尺を当てて、道の幅を測る手。

現地調査メモ前面道路の幅:3.8メートル(4メートルに足りない)

値は、勘で決めるものじゃない。
道の幅、日当たり、
近くで売れた値。
確かめた事だけが、値になる。

古い石垣が崩れ、振り返る男に石が降りかかる。「ゴゴッ」の描き文字。

最後に測ったのは、
道の幅だった。

石畳の町と市場。遠くの丘の上に、大神殿の白い尖塔が立つ。

目を開けると、
俺は十八歳の測量見習いで、
ここは、神様が
土地の値を決める国だった。

測量の縄と杭を肩にかついだ青年が、町を見上げている。

町の測量所の見習い(前世は不動産鑑定士)ケイ

宿〈月見鳥亭〉の前。商会の男たちが、宿の娘を取り囲んでいる。

取り立て役:値なしの宿だ。
銀貨三十枚でも、
ありがたく思え。

男たちの前に、両手を広げて立ちはだかる宿の娘。

宿〈月見鳥亭〉の娘リタ

リタ:父さんの宿を、
そんな値で
売るもんか!

男の手が突き出す灰色の石の札。札の上で神殿の紋が淡く光る。

大神殿 値の神託|月見鳥亭(宿と土地)値:なし

この国では、土地の値は、
大神殿の神託だけで決まる。
魔物の出た家に、
神託は値を告げない。

値の告げられない土地には、
誰も金を貸さず、
誰も買わない。

宿の建物を見上げ、目を細めるケイの顔のアップ。

ケイ:値の無い土地なんて、無い。
値の分からない土地が、
あるだけだ。

――査定書を開きます。対象:月見鳥亭の土地記入できるのは、あなたが確かめた事だけです。

ケイが右上の何もない空中を見る。青い光が顔を照らす。「ピン」の描き文字。

ケイ:三日ください。
この宿の土地の値を、
俺が出します。

取り立て役:神託でもない小僧が、
どうやって
値を出す!

ケイ:近所で、最近
いくらで売れたかを
調べます。

商業ギルドの帳場。天井まで届く棚に、革の表紙の帳が並ぶ。

商業ギルドの〈売買の帳〉。
この町で、いつ、どの土地が、
いくらで売れたか。
――誰も読まない帳だ。

取引事例比較法近くで最近売れた土地の値を集め、売れた時の事情・時期・土地の条件の違いを直してから、対象の土地と比べて値を出す。

前の世界では、
近くで売れた値を、
国が誰でも見られる形で
出していた。

机に広げた帳をめくるケイとリタ。リタが一行を見て目を丸くする。

リタ:同じ通りの粉屋の跡、
銀貨四百枚で
売れてる……!

ケイ:でも、一件だけじゃ
決められない。

ギルドの記録係の老女が、分厚い帳をもう一冊、机に置く。「バンッ」の描き文字。

記録係:鍛冶屋の家と、
隣の通りの雑貨屋。
帳を読みに来た子は、
四十年で初めてだよ。

査定書|集めた取引事例(町割りで、区画の広さは同じ)① 粉屋の跡・同じ通り  半年前 銀貨400枚② 鍛冶屋の家・同じ通り  半年前 銀貨280枚③ 雑貨屋・隣の通り  二年前 銀貨380枚

ケイが帳の一行を指で押さえ、隣のリタに説明している。

ケイ:②は安すぎる。
鍛冶屋は借金の取り立てで、
急いで売ってる。

事情補正売り急ぎ・買い急ぎなど、特別な事情で値がずれた取引は、普通の取引の値に直す。② 借金で急いで売った(記録係の話では、相場の七割ほど)② 280枚 → 400枚

リタ:③は二年前だけど……

ケイ:街道が通ってから、
この町の土地は、
この二年で一割上がった。
帳の値を並べると、そうなる。

時点修正売れた時と今とで値の水準が変わっていれば、今の値に直す。③ 二年前の取引。この二年で一割上がった③ 380枚 → 418枚

二本の通りが交わる角に建つ月見鳥亭を、ケイとリタが見上げる。

ケイ:最後に、
土地そのものの違いを比べる。
月見鳥亭は、
広い通りの角だ。

地域要因・個別的要因の比較道の幅、角地かどうか、日当たり、水の便など、通りと土地の条件の違いを比べて直す。③ 隣の細い通り −5%月見鳥亭は角地 +5%(どちらも、帳に並んだ値の差から)

夕方の月見鳥亭の前。人だかりと商会の男たちの前で、ケイが一枚の紙を掲げる。

査定書|月見鳥亭の土地① 400枚 → 420枚② 280枚 → 400枚 → 420枚③ 380枚 → 418枚 → 417枚比準価格:銀貨 約420枚

取り立て役:四百二十……!?
神託は
値なしだぞ!

ケイ:神託は、値を告げない。
でも、隣で売れた値は、
嘘をつかない。

ただし、この値には、
まだ引いていない物がある。

人だかりの中から、大剣を背負った背の高い女が進み出る。

宿を開く場所を探す元冒険者ドーラ

ドーラ:その値の理由、
全部聞いた。
話に乗ってもいい。

通りの端に止まった黒い馬車。窓の奥から、指輪をはめた男が見下ろしている。

グラナート商会の主ベルント・グラナート

ベルント:値なしに値を付ける小僧、か。
……神殿に、
知らせておけ。

夜の宿の食堂。ランプの光の中で、ドーラが低い声で切り出す。

ドーラ:ただし。

ドーラ:この宿で、
人が死んだそうだね。

顔をこわばらせて立ち尽くすリタ。背後の階段の上に、二階の廊下の暗い扉。

値なしの土地、査定します

第1話「値なしの宿」終

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この話で分かること

土地の値段はどう調べる・どう決まる?(近くで売れた値と比べる取引事例比較法)

まず、近くで最近売れた値を調べます。国土交通省の「不動産情報ライブラリ」では、不動産の取引価格・成約価格や地価公示などの価格の情報を、地図や地域から探して見られます。鑑定では、集めた取引事例に事情補正・時点修正をして、地域や土地ごとの違いを比べ、対象の値(比準価格)を出す取引事例比較法を使います。

条件・例外

事情補正:売り急ぎ・買い進みなど特別な事情で値がずれた取引は、普通の取引の値に直してから使う。 時点修正:取引の時と今とで値の水準が変わっていれば、今の値に直す。

出典

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この話のあらすじ

雨の現地調査で古い石垣の崩れに巻き込まれた不動産鑑定士は、土地の値を大神殿の神託だけで決める王国に、十八歳の測量見習いケイとして生まれ変わる。宿〈月見鳥亭〉は二年前に魔物が出たため、神託で「値なし」とされ、亡き父の借金を継いだ娘リタは、商会に銀貨三十枚で宿を手放せと迫られていた。ケイは、自分で確かめた事しか書けない〈査定書〉の窓を開き、商業ギルドの売買の帳から、同じ通りや隣の通りで売れた三件の値を集める。借金で急いで売った鍛冶屋の家は普通の値に直し(事情補正)、二年前の取引は今の値に直し(時点修正)、角地や通りの幅の違いを比べて、月見鳥亭の土地に「銀貨約四百二十枚」の値を付けた。買い手に名乗り出た元冒険者のドーラは、最後にこう切り出す。この宿で、人が死んだそうだね、と。

作者

ka2uma

縦読み漫画の作者

仕事の現場を題材に、台本から縦読み漫画を作っています。

この作品について

土地や建物の値の出し方(取引事例比較法・原価法・収益還元法)と、事故物件の告知の決まりを、神託だけで値を決める異世界の王国に置きかえて描いています。

制作に生成 AI を使用。企画・編集:H株式会社・利用ガイド

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