第2話

第2話「残り:0」

朝の開発部のフロア。まだ誰もいない机に、窓から朝日が差す。律が一人で席に着く。

四月二日。
入社、二日目。

おはようございます。本日の残り:1,000

昨日の不具合は、
直して終わりじゃない。
狂った三週間分の締めを、
全部、合わせ直す。

肩越しに見た律の手元。キーボードを打つ手。モニターは向こうを向いている。

律:3月9日から4月1日までの日次締めを、日付を1日ずらして集計し直すプログラムを書いて。元のデータは消さないこと。AI:書きました。元の表を写してから、写しの方で集計し直します。実行の前に、3月9日の1日分だけで結果を確かめてください。本日の残り:0

目を見開いて固まる律の顔のアップ。「ピ」の描き文字。

律:……一回で、
ゼロ?

本日の残りがありません。明日の朝、使えるようになります。

大きな仕事ほど、減る。
三週間分の集計は、
一日分を、全部持っていった。

受話器を置いた鬼塚部長が、律の机へずかずか歩いてくる。

鬼塚:新人!
十一時に、客先の課長が来る。
昨日の件、
お前が説明しろ。

律:AI 無しで、
客先の前に。

仕切りの上から心配そうにのぞく宇佐美。手にマグカップ。

宇佐美:黒川さん、
怖いよ。
前の担当の人、
泣いて帰ったから。

知っている。
前の人生で、
三年後に泣いて帰ったのは、
俺だ。

ガラス張りの会議室。腕を組んで座る客先の課長と、資料の束。向かいに鬼塚と律が立つ。

客先 物流会社・情報システム課長黒川 恭子

黒川:三週間ですよ。
倉庫の在庫が、
毎朝、合わなかった。

黒川:原因は?
影響は?
次は?

律の顔の大写し。目を閉じて息を整える。

AI は、ない。
――あるのは、
十六年分の、
障害の報告だ。

ホワイトボードにマーカーで見出しを四つ書く律の手。

ホワイトボード一、何が起きたか二、どこまで影響したか三、なぜ起きたか四、何をしたか・次に何をするか

律:起きたことは一つです。
三月九日から
四月一日まで、
毎日の締めが、
一日前の日付で
記録されていました。

黒川:影響は?

律:締めの数は狂いましたが、
入荷と出荷の記録は、
一件も消えていません。
日付を付け直せば、
全部、合います。

黒川:原因は。
――誰の、ミスです?

律の横で、鬼塚が額に汗を浮かべて固まる。

律:誰か、では
ありません。

まっすぐ黒川を見て話す律。枠から頭がはみ出す。

律:サーバーを移す時の
確認の表に、
〈時刻の設定〉の項目が
無かった。
穴は、表の方です。

人を責める報告は、
次の失敗を、隠させる。
直すのは人ではなく、
仕組みの穴だ。

黒川の顔の大写し。目を細め、律を値踏みする。

黒川:……次は?

二度と起こさないために① 移行の確認の表に「時刻の設定(タイムゾーン)」を足す② 移行の翌朝、締めの数を前の日と照らし合わせる③ 時刻の記録には、日本時間か協定世界時かを書き添える

律:日本時間は、
協定世界時より
九時間、進んでいます。
この九時間を
どこで足すか、
決めておけば、
同じ事は起きません。

黒川が資料の束を閉じる。鬼塚が息をのむ。

黒川:報告書。
今の順番で、
明日までに。

黒川:――書くのは、
あなたね。

会議室を出た廊下。そっぽを向いた鬼塚の口元が、少しだけゆるんでいる。

鬼塚:……新人。
どこで覚えた。

律:……前の、
会社で。

鬼塚:新卒だろうが!

夜のフロア。ほとんどの席の明かりが消え、一つの席だけ画面が光っている。

夜九時。
報告書を書き終えても、
宇佐美さんは、
帰らなかった。

机に向かう宇佐美の横に立ち、缶コーヒーを机に置く律。腕一本分の距離。

宇佐美:今日、ありがとね。
……私、あの人の前だと、
何も言えなくて。

律:宇佐美さんが
三週間、記録を
残してくれてたから、
言えたんです。

宇佐美の机の端に置かれた勤務の記録の紙と、その横の空の栄養ドリンクの瓶。

勤務の記録 宇佐美 灯 2015年3月時間外労働:112時間

律の目の大写し。凍りつく。
色の抜けた記憶。夏の光の中、主のいない机に花が一輪置かれている。

前の人生で、
宇佐美さんが倒れたのは、
七月一日の朝だった。

夜の歩道。街灯の下で、スマートフォンのカレンダーを見る律。

あと、
九十日。

第2話「残り:0」終

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この話で分かること

障害の再発防止策はどう書く?(なぜなぜ分析で、人でなく仕組みの穴を探す)

問題の直接の原因を見つけ、さらにその原因を「なぜ」と問い続けて、根本の原因までさかのぼります。再発防止策は、直接の原因と根本の原因のそれぞれを裏返して作ります(IPA のガイドブックのなぜなぜ分析)。

条件・例外

IPA の教訓集は、作業のミスやルールからの逸脱を「個人の問題でなく、組織の問題」とし、作業の規定や、作業を受けるかどうかの判断の基準といった組織の対策を挙げています。作中の報告も、締めが前の日の日付になった(直接)→ 新しいサーバーのタイムゾーンが UTC のままだった → 移行の確認の表に時刻の項目が無かった(根本)とさかのぼり、表に項目を足しています。

物語との違い

作中では、律が16年分の経験から、その場で根本の原因までたどり着きます。IPA のガイドブックは、関わった人がいれば徹底して「なぜ」を問い、いなければあらゆる想定から掘り下げる、としています。

出典

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この話のあらすじ

入社二日目。律は、時刻の設定のずれで狂った三週間分の締めを合わせ直すため、AI に集計し直すプログラムを頼む。大きな仕事ほど残りが減る決まりで、残りは一度で0になった。その日、客先の物流会社から情報システム課長の黒川が来る。AI の無いまま、律はホワイトボードに「何が起きたか・どこまで影響したか・なぜ起きたか・何をしたか、次に何をするか」の順で書き、記録は一件も消えていないこと、日本時間は協定世界時より九時間進んでいることを説明する。誰のミスかと問われ、律は人ではなく、移行の確認の表に時刻の項目が無かったことを原因に挙げる。その夜、律は宇佐美の勤務の記録を目にする。前の人生で宇佐美が倒れたのは、七月一日の朝だった。

作者

ka2uma

縦読み漫画の作者

仕事の現場を題材に、台本から縦読み漫画を作っています。

この作品について

2015年の開発の現場を舞台に、AI に頼むことと人がやることの分け方を、一話ずつ不具合を解きながら描いています。

制作に生成 AI を使用。企画・編集:H株式会社・利用ガイド

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